Taemin その魅力とは!?


初めて貴方を知ったのは、約2年前の今頃、Luciferでのダンスでした。そしてその年の年末の音楽番組でのライブ感のあるキレッキレのRingdinGdongを見てから、目が離せなくなっていきました。
次に、初の韓国旅行中でハローベイビーというSHINeeのバラエティーを見ると、グループ内それぞれの個性ももっと分かり、大笑いして楽しみました。でも、まだまだあの頃は髪型もあって、幼さにある少年って感じでした。

そこへ昨年末のスイスでのエクストリーム・スポーツがしたい、と旅に望んだテミン。スカイダイビング、スキー、街中の楽器店ではピアノを弾き、温泉につかり、益々不思議な存在になりました。
しかし、そこでテミンが語った言葉は「これでこれからももっと自分の限界が超えられそうな気がする」といったと記憶しています。もう、、またびっくりして、この若者にドキドキしてしまいました。
そこからは、グループとしても、個人活動でもSHINeeは快進撃をしていく2013年でした。DreamGirlでは歌いだしも担当、Why so surcuirsでも歌いだし担当!!Everybodyでのほぼセンター!!!誰よりもバラード好きな貴方がこんなに歌のパートが増えた事に、親のように嬉しく思いました!

そして、そして、先日はグループとして、BEST artist of the yearの授賞式での涙×5人と、舞台上での固いハグ!!!テミンがこのグループで本当に良かったなって思わせてくれ、ホントにあの旅での宣言通り「限界を超えて」羽が生えているように輝いて見え、もらい泣きしました。(テミンがステージ上で初めて見せた波でもあったのです)

若干、20歳の細身で、ダンスが大好きな好青年。デビューは10代前半には決まり、練習漬けの日々を過ごし、この約5年間は走り続け、特に今年の楽曲発表数や活動範囲には目を見張るものがありました。5人ともこのハードスケジュールを本当によくこなしていると思います。
ダンスにかける情熱は誰にも負けない。レッスンは今でも絶対に欠かさない。今年はリードボーカルのジョンヒョン不在中はボーカルも頑張り、メンバーに一番練習熱心だといわれる末っ子テミンが、今やすっかり青年期に入りました。
これからも男らしさと、まじめさで、様々な方面での活躍が期待されることでしょうね。テミナ!ファイティン!!!

Jonghyunの歌声

シャイニーのリードヴォーカル ジョンヒョン
初めて貴方を意識したのは、年末の歌番組のジュリエットのアコースティックバージョンを見た時でした。
シャイニーの沢山の楽曲をきちんと聴いて行くと、オニュとはまた味わいが変わり、貴方の繊細でいて、パワー全開の歌声に惹かれていった。
そして、気づいた、その歌声にある懐かしさ。マイケルジャクソンや私が大好きなジョージマイケルに通じる声質。若いのに凄いヴォーカルリストが出てきたなー、と嬉しかった位です!

だからこれからは、貴方が歌番組で見せたシャウトが多いハードロックとか、ジャーニーとかアメリカンロックナンバーも期待しちゃう。→スタッフにお願いですね。
そして、貴方は熱いロックの人だと実感しています。貴方の優しさや、繊細さ、情熱からくるファンサービスや、トークも温かくて好きです。五人のトークが上手く回るのも、貴方の反応の良さを感じています。

そして、あの旅では、行き先を日本にしてくれましたね!移動中はいつも音を聴いて、貴方の日本への公私に渡る想いと、勤勉さを痛感しましたよ。あれから、貴方が見つめた代々木の歩道橋に私も行きました。
貴方がどんな想いで代々木体育館を見つめたのかなって。

最後に。ジョン、もう怪我には気をつけてね!本当にみんなが心配し、ジョンの存在を大きく感じてました。五人でシャイニーですからね。
これからも貴方の歌声を応援しています(^-^)/

ONEWを想う

シャイニーのリーダー オニュ 23歳

昨年のSHINeeWorldに参加して、号泣するオニュさんを見た時から、彼の本当の気持ちって、どうなんだろうって、ずっと気になっていた私です。メンバーがよしよし、と駆け寄るわけでもなく、ひたすら溢れ出てくるその涙の訳を私は知りたかった。(ここはただの想像と妄想です)

日本での活動が、きついんじゃないの?(そりゃ、そうていったら、プロじゃないけどさ。)
そうじゃないさ、と貴方は笑顔でかわしてしまいそうだ)
メンバー間で何かあった?(そりゃ、僕はリーダーだからね、責任は常にあるんだ)
誰よりもその歌唱力と、年下に囲まれた中でベストなパフォーマンスを見せていかねばならないし、語学も求められる。SMを含めた世界戦略の中での韓国トップアイドルの試練の只中にあるんだもんね。(そうそう、そうなんだ!)
メンバーの中だけじゃ、オニュを置いてジンギになれる時ってあるのかな?(ふふふ、そりゃ可愛い弟達はやんちゃなだけじゃないし、僕の事をとても尊敬してくれているさ。ただね、、、一人になりたいって事だってあるさ。それが、あの旅に象徴されていた。。

そっか、そうだよね。タイでの貴方は温かい国で、誰もオニュが分からなくたって、現地の人や小物まで使って生き生きと過ごしていたよね。そんな貴方の姿に心から私はホッとしたのでした。
いつも5人の中心にいなくちゃならないて重責は、デビューからずっと重荷だったんだよね。貴方がバラエティーでもどれだけ満面の笑顔で頑張ってきたか、見てきて知っている。
これからはさ、まだやんちゃで自己主張の強いメンバーもいるけどさ、テミンのようにどんどん皆も大人になっていくんだから、任せていいんじゃない?私思うの。シャイニーはもっともっと良くなっていくって。
でもね、やっぱり生のステージを見に行くと、オニュさんじゃなきゃって思い知らされるのよ。貴方がかもし出す雰囲気は会場を和ませてくれ、私達を迎えてくれているの。(そう?皆同じくらい努力してるけど?)
その笑顔と、歌唱力。誰よりも皆に合わせたダンス。私はちゃんと見てるから。(ふふ、知ってるよ。これからもヌナや新しいペン達を驚かせたり、裏切っていける僕達でいいよね^^)

毎晩CDも聴いているからね(ありがとう。でも、無理しないでちゃんと寝てよ。)
オニュ、また色々おしゃべりしようね!(うん、待ってるよ^^)
アンニョン、ジンギ!!(アンニョン、ヌナ)

というわけで、今回の日本ツアーでのシャイニーは、また一回り成長し、新曲たちで新しい魅力が満載なのでした。

スリランカ5日目 コロンボとガイドの事

旅の最後は元首都のコロンボに移動し、仏教の遺跡、

ショッピング、海岸を見物し、中華料理までが今回の旅のコースメニューでした。

↑上記はジャスミン茶に茶柱がたった所!!!

中華は右から酢豚、マーボ豆腐、青菜の炒め物、インゲンと海鮮の炒め物でした。これにさらにフルーツも出て食べ切れませんでした。
【ガイドの素顔はビジネスマン】

今回とてもラッキーだったのは、勉強家、知的、かつ真摯なガイドにであったということ。日本語の微妙なニュアンスもユーモアもあり、特にスリランカの歴史や言い伝えの詳細な説明は圧巻でした。
日本語はほぼ独学だそうで、6ヶ月富山に薬品の勉強に留学している。彼は、大家族の中で唯一の男性。シンハラ人である事に誇りを持って暮らしている。
教師になってもよかったのでは、という博識でしたが、3年前に医薬品メーカーから転職して、国際ガイドとして、日本人向けのガイドを開始したという。まだ幾つかの事業を、日本とビジネス展開したい彼の意欲は素晴らしい。
また、昨夜は地元のキャンディーだった為、初めて自宅に帰って言った。するとそれは奥様との10年目の結婚記念日だったのだそう。お子さん達や家族を大切にされている様子も私を安心させたのでした。
また、スリランカに来るときは案内します、と言っていただいた。「嘘でも嬉しい」という私に「嘘じゃありません」と笑われる。
コロンボ
この地名は例の人気探偵で学生時代から何となくインプットされていた。港町で18世紀のままの歴史を感じる部分と、

近代的な部分が融合していた。

インド洋の強い風が潮つぶてを上げるものの、家族連れとカップルが多くくつろいでいた海岸を見物した。

ガイドが凧揚げを買ってくれようとしたが、とてもトランクに入らない大きさだったので残念ながらお断りした。(笑)

スリランカ4日目 象の孤児院

野生の象がまだ沢山いるスリランカでは、国で群れからはぐれたり、怪我をした象の保護をしているそうです。
旅の四日目は象の孤児院にきました。

ゲートを入り直ぐに案内されたのは、象の糞で作る紙製品でした。メモ用紙を我が家のチビにお揃いで買いました。

土産物屋を通り河原へ出ると、沢山の人集りで、河の中に一つの象の群れが水浴びをする時間でした。湖や川は見てきたものの流れのある河は始めてで、豪快に水浴びをする象たちを見るのも初体験で、嬉しくなっていました。そんな様子にガイドから、mistyさんは自然が好きなんですねー、と言われました。そうかも(笑)
そして有難い事に河原沿いのホテルのテラスでランチです!

そうこうするうちに激しいスコール(-。-;
観光の間全く雨にならなかっただけに、度々襲うスコールは凄まじく、象に乗る体験中の観光客はずぶ濡れでした。
食後は場所を移動して象の餌場で食事風景を見物しました。

象が賢い話しや、この施設から多摩動物公園に二頭が寄贈されたお話しを伺いました。その通訳をしたのも私なんです、とはガイドさんの実力を知った一場面でした。私だけで独り占めして、本当に申し訳なく感じ通しでした。

スリランカ クイーンズホテル

三日目は、キャンディのクイーンズホテル!内装は白と茶。

英国領だった時代を色濃く残し、良く保存されています。

博物館がホテルみたいでした!

私の部屋はこんな感じです。

そして、夕食。

ブッフェスタイルもバターソテーのようなお馴染みの洋食が多く並び、マッシュポテトや野菜のソテーが美味しかった。またスリランカ独自のカレーやサンボル(ココナッツの唐辛子味はカレーに混ぜる)は土鍋、と憎い演出!

ライオンビールを頂き、日本やヨーロピアンな観光客で賑わう中、食事が一番進んだ。

翌朝の朝食。

キャンディのホテルの外の湖を30分程散歩した。

朝6時前からお経が響き、さすが仏歯寺の街と痛感する。たまに、こんにちは、と声をかけられ、如何にも自分が日本人と分かるんだ、と思い知らされる。

スリランカ三日目 仏歯寺・Queen’sHotel

旅の3日目後半は、古都キャンディーに移動しました。四方を山に囲まれ、難攻不落の都だったそうです。
【果物】

食べてみませんか?とランブータンマンゴスチンを買って食べさせてもらいました。ライチのような触感が珍しかったです。
【キャンディー・ダンス見物】
仏歯寺の法要のお時間まで、ダンスの見物がありました。

そこは、学校の体育館のような場所で、簡単な解説を渡されて席に着きました。ラッパ、太鼓と鳴り物でにぎやかに始まり、男性と女性のダンスで色々な物語の世界にいざなわれました。沢山の海外からの旅行者が見物していました。
【仏歯寺】
キャンディーの街は大きな湖が中心にあり、丁度夕暮れ時でした。

18:30過ぎから始まるという法要に間に合うようにお寺の中に入っていきました。以前にテロがあったそうで、警察官の男女別ボディーチェックがありました。

お経が拡声器から町中に響き渡ります。先ずは裸足になり、ムーンストーンとガードストーンを通ります。このお寺は象のガードストーンでした。

2階に置かれた仏様の歯。

一階の鍵が開けられ、人々が2階に上がっていき、お祈りし、王様のいらした部屋で貴重な経典も見物しました。8月には、象に仏歯を乗せて街を練り歩く「ペラヘラ祭り」が盛大に行なわれるそうです。ガイドさんも月に一回はご家族とお参りに来るという本当に信仰の厚いお寺を見ることができました。
【伝統のQueen'sHOTEL到着】
仏歯寺の目の前がクイーンズホテル。


鉄製の蛇腹を開け閉めするエレベーターは映画の世界のようです。そのようにポーターさんにいうと、1800年からの創業ですから、と言われます。
つづく